2023 名古屋から鉄路で長崎へ(軍艦島と原爆資料館)Day 2-1

8/19(水)(2日目:1/2)
モントレ長崎~軍艦島デジタルミュージアム~常盤桟橋~(軍艦島クルーズ)~軍艦島~常盤桟橋

7:00 疲れが溜まっていたのか、いつもよりのんびりと起床。

窓から外を見てみると、今にも降り出しそうな曇天。
予報では、午後から天気が回復するとのこと。軍艦島ツアーは午後からなので、上陸条件(風速5m以下、波高0.5m以下)を満たすよう少しでも天気が回復することを祈るばかり。

10:00 昨日のレポやメモなどを整理してからホテルを出発。歩いて5分ほどで、ツアー集合場所の「軍艦島デジタルミュージアム」に到着。
軍艦島への上陸ツアーは何社か実施しており、軍艦島コンシェルジュ、やまさ海運、高島海上交通など。このうち、最も上陸率が高い(と書かれていた)軍艦島コンシェルジュにした。

スマホに送られてきたQRコードを専用端末にかざして受付終了。
ツアー内容は、在りし日の軍艦島をデジタルで再現したミュージアムの見学、クルーザー型旅客船による軍艦島までの往復、そして上陸がセットになったもの。

出港は13時過ぎなので、まだ3時間近く余裕あり。
ミュージアムの見学にかかる時間は、おおよそ1~1.5時間程度と聞いていたので、島の見学が少しでも楽しめるよう2倍の勉強(見学)時間を確保した。

入場してすぐの場所に全長30mの巨大スクリーン。
1974年(昭和49年)の炭鉱閉山以降、島民が居なくなって無人島化。長らく人が立ち入ることはできなかったが、所要の整備が完了し、2009年(平成21年)4月から観光客が上陸・見学できるように。
当時の写真をもとにデジタル技術をつかって在りし日を紹介。ここの島民だった方の解説があり、当時のリアルな暮らしを知ることができて理解と興味が深まった。

当時の暮らしを再現したセットがあった。
軍艦島は三菱の持ち物であり、島民の住居は社宅もしくは寮だったため、家賃・水道・電気・風呂など含めて10円と格安。(今の価値でおおよそ100円ぐらい)
それでいて鉱員の給料は高く(新卒給料の4~5倍)、お金を使うところも無いことから貯まっていく一方。テレビの普及率が10%だった当時で、島ではほぼ100%と裕福だったとのこと。

1/150サイズのジオラマがあった。
当時の賑わいや祭りなどの行事を資料映像とともにプロジェクションマッピングで映し出し、まるで生きてる島のように見えた。
もともとこれほど大きな島ではなかったようで、何度かの埋め立て工事にがあり、南北に約480メートル、東西に約160メートルと約3倍に面積が拡大したらしい。
日本海軍の戦艦「土佐」に似ているとして「軍艦島」と呼ばれているとのこと。

1916年(大正5年)に建てられた日本最古の鉄筋コンクリート造として有名な30号棟が、当時と今(崩落した2021年)で比較されていた。
軍艦島は台風の通過ルートに位置しており、海水を被るなど気象条件がかなり厳しいため、コンクリート内部の鉄筋が錆び、膨張し、ひび割れや剥落に繋がっているとのこと。
耐用年数50年のところ100年以上が経っていることを考えると、いつその姿を消してもおかしくなく、ひょっとして今回のツアーで見納めかもしれん。

一方で、現在の姿を維持しようとする動きもあるようだが、素人目にも建物としての体力が弱すぎて、延命、安楽死にしかならず遅きに失した感じ。
あと20年、30年早かったら、原爆ドームのように永久的な維持も望めたと思うと残念。

日給社宅前の「地獄段」再現セットもあったが、何となくの雰囲気は掴めるものの、ちょっとなーって感じ。もうちょっとボリュームが欲しい。
そのほか、VRゴーグルにて軍艦島を体感できるものもあった。ドローン撮影された映像だったが、ちょっと解像度が低すぎ。Youtubeに似たようなものがあるし、PS4のVRゴーグルで見たことがあるが、それと同レベル。

ミュージアムはかなりのボリュームだったが、写真、ジオラマ、模型、新聞記事、資料映像に至るまで、展示してあるものを片っ端から全て見学した。知識を一気に詰め込んで準備万端。

が、ここで残念な知らせ。波が規定値を超えているため、本日のツアーは「上陸不可」となり、島周辺を「周遊」になるとのこと。
それなりに風が出ていたので、やっぱりなと言った感じ。こればかりは仕方ない。

13:10 クルーザー乗船の時間となり、係員に続いて桟橋へと向かう。ツアー定員(約100名)に対し、参加者は30名ぐらい。

ツアーは、クルーザーの座席位置によって料金が異なり、スタンダード(1階自由席)が5,000円、プレミアム(2階中央席)が8,000円、そしてスーパープレミアム(2階窓際席)が10,000円と、値段にかなりの差がある。(他社に比べて全体的に割高なのは、先ほどのミュージアム見学代が含まれているため)

一生に1度かと思い、最上級のスーパープレミアムにしようかとも思ったが、外部デッキに出たまま席(船室)に戻ることはなさそうなので窓際席の必要なし。中央席のプレミアムにした。(スタンダードの場合、2階デッキは使用不可)

出港してしばらくすると、右手には三菱重工長崎造船所。ツアーガイドさんは、世界遺産に登録された「ジャイアント・カンチレバークレーン」を紹介していたが、個人的には6ビルと建造中の30FFM(もがみ型護衛艦)のほうが興味深い。

隣には、大日本帝国海軍の大和型戦艦の2番艦、戦艦武蔵を建造した「BERTH NO 2」ドック。陸からは見ることが出来ないので、これはこれで貴重。

更に進むと、NTTの海底ケーブル敷設船「きずな」が停泊中。入港している期間は短く、見られるのは貴重らしい。

ほとんど揺れないし、波なんて大したことないじゃん(上陸できるんじゃね?)って思っていたが、外洋に出た途端、船は前後左右に揺さぶられて立ってられないほどに。波しぶきもあり、外部デッキは危険だから室内に入るよう言われ、しぶしぶ船室(席)へと戻る。

出港して約1時間。国内炭鉱発祥地の高島を過ぎ、中ノ島を超えるといよいよ軍艦島が見えてきた。長年、見てみたいと思っていた島がすぐそこ。

軍艦島の南端で一旦停船し、ようやく外部デッキが開放。目の前に軍艦島があることに感動、自分の目でガン見、スマホで写真撮影、GoProで動画撮影とフルで楽しむ。
先程、デジタルミュージアムで勉強した甲斐があって、どれが何の建物であるか分かるのが嬉しい。ちょうど30号棟が見える。

北に向けて船はゆっくりと進み、右手に70号棟(端島小中学校)が見えてきた。当初は6階建てだったが、後に増築され7階建てに。奇しくも、増築された7階が崩壊し潰れており、建設当時の6階建ての建物に見える。
また、手前に位置する体育館は屋根が完全に崩壊している。
左手には、山頂に端島神社の祠が見える。

島の北端から西側へと入る。60号棟、51号棟、櫛形が特徴的な日給社宅が見えてきた。
海から見られただけでも良かったなんて思っていたが、だんだん欲が出てきた。やはり上陸してもっと近くで見たかった。

再び島の南端へと戻って一周完了。小さい島なのであっという間。ここに5,000人を超える人たちが住んでたとは驚き。(東京の9倍を超える人口密度だったとのこと)

小さくなっていく軍艦島を見ながら長崎港へと戻る。
古い建物だと築100年。無人島になり、人の手が入らなくなって50年。時を追うごとに崩壊は進んでいくし、永久的あの姿を維持するのは無理。

やはり、どうしても上陸したかったな。
長崎まで来るのはスケジュール的にも金銭的にも大変だが、なんとか都合を付けてもう一度。

1日目(2/2)  2023 長崎まで鉄路で行ってみた 目次  2日目(2/2)

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